美術史 人物相関図
横軸=西暦、上=西洋、下=日本。●=人、■=作者不明の作品・建築。細い実線=その国の中の継承、太い破線=国をまたぐ影響。左半分(前800〜1200年)は圧縮してあり、二重線から先はスケールが4倍以上に伸びます。名前をクリックすると下に作品が出ます。
古代でおさえること
- ギリシアは人体、ローマは顔と建築。ギリシアが理想比例の裸体を彫っていたのに対し、ローマの彫刻の主力は肖像。皺もハゲも彫るヴェリズムで、共和政期の「祖先の顔を残す」習慣から来ている
- ローマ美術の大半はギリシアの複製。今に残るギリシア彫刻の多くはローマ時代の大理石コピーで、原作のブロンズは鋳つぶされた。ローマは美術を征服地から輸入し、量産した
- 作者名が残らない。ペイディアスやプラクシテレスの名は伝わるのに、パンテオンやポンペイ壁画の作者はわからない。制作は工房の仕事で、施主(皇帝)の名前だけが残る。作者が前に出るのはルネサンス以降
- 技術はコンクリートとアーチ。パンテオンの直径43mのドームは1400年以上破られない。絵画・彫刻より建築と土木がローマの本体
- 313年で転回する。キリスト教公認以降、写実は捨てられ、像は教義を読むための記号になる。コンスタンティヌス凱旋門は2世紀の彫刻の流用と4世紀の平板な彫刻が同居していて、その変化がひとつの建物で見える
図から読めること
- 国をまたぐ破線は4本だけ。全部1870〜1910年代に集まる
- 古代に線が引けないのは、日本と西洋が直接触れていないから。日本側の技術と図像は中国・朝鮮経由で、起点が図の外にある
- ラオコーン群像 → ミケランジェロは1506年の発掘による。1600年前の作品が同時代の刺激として効いた例
- 縄文土器(前3000年頃)は左端の外。日本側の始まりは図に収まっていない
画像について
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